ASA-CHANG「ソシテ今、耕ス」

Rhythm Circus Vol.1 にご出演下さり、インタビューも掲載させていただいたASA-CHANG さん。現在は「ASA-CHANG のタブラボンゴナイト」と銘打って全国各地でタブラボンゴを奏で、タブラボンゴについて語るイベントをライフワークとしておこなっています。模索をしながら歩むリズムサーカスの活動をふまえて、ASA-CHANG さんから再び言葉をうかがう機会をいただけました。音楽を語るという行為、リズムそのものへの価値観。ASA-CHANG さんとリズムサーカスクルーの角谷七瀬、吉田みさとが対談形式で話しました。

インタビュー実施日:2010/8/19
対談者 角谷七瀬/吉田みさと(リズムサーカスクルー) (2010/10/10掲載)


【音“楽”】

吉田みさと(以下吉田) 今回こうしてASA-CHANGさんと対談させていただく機会ができて本当に嬉しいです。ありがとうございます。こうして改めてお話する機会をいただけたきっかけのひとつとして、リズムサーカスのwebに掲載されている港大尋さんのインタビューを読んでいただけたとききました。

ASA-CHANG はい。とても言葉が強い方だな、と思いました。「リズムを取り戻す」とか、「リズムによる抵抗」とか。どうしてこんな強い言葉を使うの かしら、と逆に興味を持ちましたね。

吉田 港さんはよく「今の世界にはリズムが失われているんじゃないか」とおっしゃっています。音楽の中でのリズムではなくて、流 れや時間としてのリズムが崩れているんではないか、と…。
あと、「抵抗」という言葉はきっと港さんに根づいているジャズやパンクの精神が関わっている気がします。

ASA-CHANG なるほどね。人の前でしゃべるためにはそういうちょっと強めでロジカルでショックのある言葉を使う必要があるのかもしれないね。元々リズムなんて脳みそを使う部分からは生まれてないと思うけどな、自分では。角谷さんはリズムに対してどんなことを考えているの?

角谷七瀬(以下角谷) わたしは小さい頃から打楽器を叩くのが大好きだったんです。どうやらほとんどの子供がそうみたいですけど。それからだんだんとリズムというキーワードに着目するようになりました。最初はいわゆる「ドラムサークル」に興味を持っていったんですけど、どうしても違和感があって…―。

ASA-CHANG その違和感について言える範囲でいいからききたいな。実は僕も違和感があるんだ。

角谷 システム化されているところに違和感があります。ファシリテーター(※1) というスキルのある人が先導して参加者を楽しませて、参加者はそれを受けて楽しむことやコミュニケーションをとることが必然になっている。その楽しむことを強制されるような空気が腑に落ちないんです。

ASA-CHANG 僕もまさにそう感じています。ここ数年でドラムサークルがシステマチックになってしまったのは、音楽関連の企業の考え方が浸透してしまってからなんですよね。更に言うなら、「音楽は楽しむもの」、という思い込みも染み付かせてしまった。僕は「音楽」という漢字二文字があんまり好きではなくて、英語の「music」が「音を楽しむ」という漢字で訳されてしまうのは、なんだかコワいなあ、と思うようになってしまったのです。…よくライブが終わったあとに、お客さんが「ねえ〜、ASA-CHANG!今日のライブ、最高に楽しかったっす!! 音を楽しむから、オンガクなんですよね?!」って言ってくれて…。彼らにとってそれは褒め言葉なんだけどね。

吉田 音楽に対して「良いな」と思う感情や、音に対して「ッ!」と感じた瞬間が、全て「楽しい」に結びつくように脳が出来上がってしまっているんですね。

ASA-CHANG そう、だからライブに行くと「イエーイ!!」って一緒になって盛り上がらないとダメな気がするんだってね(苦笑)。別に楽しまなくてもビックリしたりコワい音楽だっていいと思うんだけどなあ…。

吉田 わたしはヴィジュアル系音楽について研究しているのですが、ああいったネガティブさや荒々しさを全面に押し出した音楽でも、ライブの楽しみ方が根本的には一緒ですね。リズムにあわせて頭を振ったり、拳を上げることで会場全体が一体感を感じているんです。それもリズムがコミュニケーションの媒介をしている一スタイルだとは思うんですけど。

ASA-CHANG 吉田さんの話聞いていて思うんだけど、なんでそんなにリズムで繋がりたがるんだろう。“繋がり感” ってそんな必要なんだろうか。リズムっていう言葉は何にだって当てはめて論じることができるかもしれないけれど、僕はやっぱり音楽的な意味で機能するものだと思うんだ。それ以上広い範囲でリズムを語ってしまうと、うさん臭くなってしまう。なんでもリズム、なんでも音…―漠然とした抽象音楽の賛美をしているような気がして、ちょっとコワいな。そう思わない?

【愛好と表現】

ASA-CHANG 正直言うと、我々を含めこれだけ多くの人がジェンベをはじめとした民族音楽のための太鼓を持ち歩いている現状もどうかなあ、と思う。本来は、太鼓はそれぞれの村にひとつかふたつあれば良いものだったはずなのに。…その上、我々日本人や欧米人が持ち歩いているのがジェンベ(※2)やタブラ(※3)、バタドラム(※4)…―他人の国のものだという謙虚な意識がないことが、更にコワい。余暇に愛好すること(アマチュア)と表現すること(プロフェッショナル)は“住み分け” があったのに、今は貴重でめずらしい楽器が容易に手に入るから愛好がすぐに表現へと繋がってしまう。ある一定のレベルまで達さないと音楽として成立していなかったものが、容易に受け入れられている。秩序が崩れているんだなあ、と感じます。

吉田 崩れてしまった秩序って、なかなか直らないですよね。どうしていったらいいんでしょうね…?

ASA-CHANG そもそも吉田さんは、秩序が崩れちゃっているように感じます?

吉田 楽器を愛好して、演奏して、大したレベルではなくても快感を得られる、という流れが当然になっていることには違和感があります。ただ、わたし自身その快感に溺れていた時期があるので気持ちはよくわかるし、否定できないです。演奏する場所にも恵まれていますし。

ASA-CHANG そう、ライブハウスやカフェがいっぱいあるからね。でもステージの上では愛好者と表現者の差が大きく出るんですよ。テクニックの問題ではなくて、人に聴かせるための訓練をしているかどうかで、大きく変わるんです。愛好者と表現者の線引きがほとんどなくなってしまった今は、それを聞き分ける耳すら育っていないかもしれない。…―ただ、こういう時代は吉田さんや角谷さんの世代が悪いのではなくて、僕たちや僕たちの上の世代が作ってしまったものなんだと思うんですよ。

【汚染された畑】

角谷 たとえばライブに行って「なんじゃこれ? 何かすごい!」と感じる音楽を聴いたとき、なぜ自分がそう感じたのかを考えると、その楽器・音楽・ミュージシャン・会場、いろいろな背景にヒントが隠れているんだと思うんです。でも、私も含めて多くの人が、それらをみっちり検証していくほどの覚悟をもって音楽を聴いてはいない状態だと思います。逆に自分が音楽を聴かせる側になるときは、そういう事柄をひとつひとつできるだけ丁寧に把握して、リズムをつくっていく必要があるのでしょうね。

ASA-CHANG そうそう、まさにそうだと思う。本当にすごい時代になってしまったわけです。

角谷 わたしたちは物心ついた時から“こういう時代”に生きていたのですが、ASA-CHANG さんが感じる時代の変化はどういう風に起こっていったんですか?

ASA-CHANG バブル崩壊以降? だと思うよ。そしてここ5年ぐらいのCD や音源に対しての現状。お金の価値観が変わると、世界は変わる。それは音楽の流通にも影響していて、楽曲音源(CDや配信)に対してお金を使うことがほとんどなくなった。音そのものは実はもう無料で手に入る。昔は部屋に飾りたくなるくらいにジャケットのクオリティが高いものもあったけれど、今はコストの削減でそういう部分のこだわりも低い。悲しいかな音楽が商業としてだんだん成り立たなくなっているんだよね。

角谷 確かに、アルバムを1枚買う値段を払うなら、ライブに行きたい。
吉田 最近は時間区切りのエンターテイメントとして音楽を買うくらいしか、音楽に対してお金を払う意欲がなくなっているのかも…。

ASA-CHANG そう。だから、音は劣化するんです。…リズムに対しても明るい未来を模索しているんだけど、今すぐに明るくすることはちょっと無理だと感じている。例えるなら、今の音楽をとりまく状況は“汚染された畑” かもしれない。有機的なバクテリアもミミズもいない土壌に種をいくら蒔いたって、軟弱なものや変形したものしか育たない。だから、一回耕さなきゃいけないんです。土からつくり直さないといけない。それで僕は、全国を歩いて喋り始めたんです。

【タブラボンゴナイト】

角谷 それがタブラボンゴナイトなんですね。…具体的には、どういう風に耕しているのですか?

ASA-CHANG こういう感じでゆるく話しています(笑)。例えば、ふつうはタイコや音楽の話ですね。日本中のどこかの押入れに眠っている飽きられた異国の太鼓は、もしかしたらアフリカの大切な木を切って作られたものかもしれない。大切な木でも、日本人は不景気とはいえお金があるから、現地では商売として成立してしまうからどんどん輸出してしまう。日本人や欧米人は現地の温度や森林の匂いを知らないまま、そしてその楽器を本当はどう扱ったらいいかわからないまま、民族雑貨屋さんのアクセサリーとおんなじキモチで、愛好? 愛玩? してしまう。そういう循環ってすごくコワいと思うんですよ。
また更にひどい話をすると、太鼓作りのための森林伐採が進むとやがてその国からは木がなくなりますよね? そうすると、今度は別の国が本来の国の太鼓を真似て日本や欧米人向けに太鼓を作って輸出します。それを見て、今度は「この太鼓は偽物だ」とか言い出すわけです。こんなことを当然になっている日本に、“何が本物なんだ? 本当のリズムって何だ?” と問い直さなきゃいけない。そして、その問いが良い意味で発酵して熟成して、良い土を育んでいけばいいなあ、と思っています。それが僕たちやもっと前の世代が荒らしてしまったかもしれないこの畑に、唯一できることなのかなあ、と。
…―なんか僕ばっかり喋っちゃったなあ。ねえ、角谷さん。(笑)

角谷 いやいや。(笑)
吉田 わたしたちは、まだ何かの提案をするっていう段階にも立っていないから、今はとりあえず模索してみようという段階なんです。

ASA-CHANG 模索するにしても、例えば、等身大の裸の自分を写真に撮るでも、声を聴くでもしてみて、何かエラー感を感じて初めて「さあ、どうしよう」と考えられるはず。…でも、何に対してエラー感を感じるかを判別しづらい時代なのも確かだね。絵も音楽もリズムも、ゼロから見なおさなきゃいけない時代に差し掛かっているんだなあ、と感じる。僕はタイコのことしか話せないけど、色々な人が新しい試みを模索しているんじゃないかな。そういう中で青春を送っている二人の世代は、なんだか70年代の学生みたいだね。…―リズムサーカスももっと面白くできると思うよ。メンバーが区議会議員に立候補したりね。(笑)

吉田・角谷 えー!! (爆笑)


吉田 確かに、リズムサーカスという存在がわたしたちなりの試みであって、模索になっていけばいいな、と思います。個人的には自分自身にもエラー 感があるので、裸の自分と闘っていこうと思います。今日はたくさんのお話をありがとうございました。


■■注釈■■

※1 ファシリテーター
ドラムサークルを円滑に進める役割を負った人。かけ声やグルーピングなどを用いて参加者をひとつにまとめあげる。

※2 ジャンベ
西アフリカ一帯で伝統的に演奏されている太鼓。木を繰り抜いて作った胴と山羊の革をはった面をもち、手のひらで叩いて演奏する。低音から高音まで奏でられるため、近年はロックやジャズなどにも用いられる。

※3 タブラ
北インドの太鼓。タブラとバヤと呼ばれる2種類の太鼓で1組。胴は真鍮でできており、山羊の革で作られた面の中央にスヤヒと呼ばれる鉄粉を練りこんだ黒い部分を持つ。手首で面の張力を変えながら指で叩くことで、8種類ほどの音程を使い分けられる。それぞれの音には名前がついており、口頭でそれらを伝えることで伝統的なリズムを継承する。

※4 バタドラム
キューバの太鼓。イヤ、イトテレ、オコンコロと呼ばれる3種類の太鼓で1組。1人で演奏することもあるが、基本的には3人が各1種類ずつを演奏する。山羊革か牛革で作られた両面を座った状態で叩く。本来はヨルバの神々を賞賛し降霊する儀式で演奏される、儀式専用の太鼓。それぞれの神には独自のリズムがあり、それを反復させる中でリズムを変化させるバリエーションも含めてパターンが決まっている。

インタビューアー 角谷七瀬(すみや ななせ)

平成元年東京都目黒区生まれ。幼少より祖母らに演歌、沖縄民謡などを学びつつ、実家のピアノ教室で子ども達と遊んだり教えたり。 高校までに、リズムムービング、NHK東京放送児童劇団、サッカー東京都代表、ブラスバンド、マリンバ、ドラムサークルなどへのコミットを経て、現在は東京芸術音楽学部音楽環境創造科に在籍中。主に芸術教育とワークショップのフィールドで活動している。
山田あずさからの突然の電話に応じ、リズムサーカスクルーを集めた。何かを仕掛ける女の子。

インタビューアー 吉田みさと(よしだ みさと)

平成元年子供の日生誕。北海道出身。東京藝術大学音楽環境創造科在籍。
ヴィジュアル系について研究。 アフリカングルーヴサークル所属。 学生メディアセンターなないろチャンネル広報担当。 タブラとピアノと歌を緩やかに練習。脈絡のない趣味を抱えながら、音と言葉と出逢った人々を愛しつつ、生きています。