ASA-CHANGのタブラボンゴナイトin浅草橋レポート

ASA-CHANGさんがやっている謎のイベント、タブラボンゴナイトにいってきました。
今回の会場は浅草橋にある天才算数塾という不思議な一軒家。参加者は6人。なんだか超贅沢な予感。しかも、今年最後のタブラボンゴナイト!

2010/11/28
文章:角谷七瀬(リズムサーカスクルー)


■2010年最後のタブラボンゴナイト!

素敵なASA-CHANGさんの演奏。照明もまばゆいぜ!	素敵なASA-CHANGさんの演奏。照明もまばゆいぜ!

まず最初は、ASA-CHANGさんによるタブラボンゴのデモ演奏でスタート。ライブや映像では見たことがあったものの、すぐ目の前(2メートルくらい!)で、サンプラーから出す音に合わせての演奏で、全部丸見えな感じ! 面白かった。ドゥンという音、パチっという音、ビヨンという音……実に独特な音が出るんだ。

それから、タブラボンゴとは一体何かとか、ASA-CHANGさんとタブラボンゴの出会いのエピソード、ASA-CHANGさんがタブラボンゴをどう自分の音楽に取り込んでいるかなどのお話をきいた。たくさんの映像を見ながら、爆笑連続のおもしろトークでタブラボンゴナイトは進んでいき、だんだんと音楽の“楽しい”話だけでなく、今の文化や音楽の重い話などにも話題は広がっていった……。

そんな中で私が感じたことを、書いていきます。

 

■ASA-CHANGのタブラボンゴ叩かせてもらった!YEAH!

ちょっとだけ、タブラボンゴに触れてみようターイムがあった。レッスンではないので、教わる時間ではなく、みんなとにかく見よう見まねで音を出してみる。触ってみる。なかなか期待する音は出ないけれど、手で触って、下から入っているマイクを確認して、これがあの音を出していたのかーと改めて実感。(しかーし、この浮かれた気分は、後で反省へとつながるのであった…ぐぬぬ…)

 

■このままじゃヤバい! “音楽のウンチやオシッコ”が見えてない!?

以前、私たちリズムサーカスのインタビューでもお伺いした、日本語では「音楽」(ミュージック)を「音を楽しむ」と表記することについてのお話があった。音楽が「音を楽しむ」ことだと単純に思われている現状がある。楽しむ、だけ? 楽しむためだけのツールなら、音楽でなくドラッグやお酒で楽しい気分を味わえばいい。音楽は、もっといろんなことを含んでいるはず。そこには怖いものだって入ってる。

ASA-CHANGさんは、「イエーーーイ、音楽サイコーっす。音楽って、音を楽しむことなんっすねー。」という人をたくさん見てきたそうです。そういう人たちに限って、“民族”音楽が好きで、“民族”楽器をたくさんもっていたりする。色んな楽器に手を出して、「キャーたのしー」と盛り上がる。「皮やぶれちゃったんだけど、どうしたらいいのー?」と聞いてくる人も多いけど、ASA-CHANGさんは決して教えない。そんなの知らないやつは叩くな、持つなって言いたくなっちゃうって。死んだ大量の太鼓、音楽の上澄みだけを楽しんで分かった気になっているだけの人々、“音楽のウンチやオシッコ”の部分には目を向けない現状。

壁に飾られていた全国のタブラボンゴナイトフライヤー 壁に飾られていた全国のタブラボンゴナイトフライヤー

そういうものを目の当たりにしてきて、「もう、やばすぎる。何かしなきゃ。」と思って始めたのが、このタブラボンゴナイトなんだそうです。タブラボンゴナイトやってると、刺激の強い話も出てきて、エラーがおきて喧嘩することもあったそうですが……。その言葉や思いは、ASA-CHANGさんが自分自身に対しても突き刺していると、本人もおっしゃっていたし、そのはずだと感じました。

楽器を触ってキャーたのしーという話のところで、先ほどタブラボンゴを触らせてもらった私は、ギクッッっとしました。確かに、少しはしゃいだ気分になっていたし…。やられた…と思いつつも、ついさっきのことだったので、なおさらドキっとしました。他の参加者の方々もきっとそうだったのでは。

そして、民族楽器がすごく流行っている現状について。20数年前はジェンベなんて日本にほとんどなかった。現地(アフリカ諸国)にだって村に数個あるような貴重なはずのものが、今の日本では本当にたくさんの人が気軽に持っている。でも楽器だけすぐ手に入れて、その周辺を大事にしてない状況がある。アフリカの楽器を買うんだからアフリカが潤ってイイじゃないかというと、それだけではない。そういう楽器は、植林という概念がほとんどない地域で、森林を伐採して作るものが多い。木が無くなれば生産力が追いつかなくなる。生産力が追いつかなくなったら、そこで、アジア地域で似たようなものを作るようになる。よく雑貨屋とかで見る楽器たちが、それ。これってすごい悪循環だよねって。

そして、そういうアジア製の太鼓を「ニセモノ」と平気で言う日本人がたくさんいる。そういう人たちが民族音楽好きなんだーとか言っている現状。それを確認したい。何が「ホンモノ」? 何が「ニセモノ」? 楽器教室にしても、ダンス教室にしても、音楽に関係ないところでも、「うちはホンモノをやっていますから」というこだわりやウリをもっている人たちって結構いる。 でもさ、日本人は他国のホンモノとか目指さなくてもよくて、アレンジとかを楽しめばいいんじゃないかな。とASA-CHANGさんは言ってた。

それでも使いたいものがあるなら、その周辺をわかろうとしようよって。これは別に、音楽だけの話をしたいわけではないって。例えば、ある人と恋人になりたいと思っているけど相手について何も知らない場合。まずは名前を知ろうとしたり、出身を知ろうとしたり、年齢を知ろうとしたり、好きなものを知ろうとしたり、するよね、と。好きなら、いきなり抱きついたりしない。相手のことを調べたり、気を使ったりするはず。それが礼儀。ペットに例えてみても同じことが言える。何も知らなければ死んじゃう。クリオネってかわいいなーと思って、ネットで買って、熱帯魚に似てるなぁと思って温水に入れたら、すぐ死ぬよ。ペンギンを手に入れて、羽があるから鳥だなって思って木の実しか与えなかったら、死んじゃうよ。パンダも、昆虫も。楽器も同じ。そうやって死んでいく。傘立てになったり、邪魔になったと捨てられたり。重めの話だけれど、ASA-CHANGさん自身これまで知らないことがいっぱいあって、それに気づいたときにものすごい危険性を感じたから今こういう活動をしている、と続きました。

■音楽の上澄みじゃない部分って……

最後に、重めの(?)映像を2つ見た。ASA-CHANGさんはこの2つの映像について、「自分を全否定せざるをえないようなショックを受ける」と言っていました。でも、これはただみなさんを責めているわけではない、と。ASA-CHANGさん自身が、知らないことがすごく多いことに気付いた時、周りを見渡すとすごいエラー感があふれていたんだって。それで、いまこれを、共有して、話していかなければならないと思ったそうです。多くの「音楽」好きの日本人が見ようとしていない、最初に言っていた“音楽のウンチやオシッコ”の部分。最後にもう一度、「音楽がすごく狭い領域でしか機能していない現状があるんですよね」という一言がありました。

 

■耕されて…焦ってきた…

ありがとうございました! ありがとうございました!

終了後、あいさつとともに少しお話をさせていただきました。一緒に参加した友人からは、「最後の映像で自己全否定を感じるとおっしゃっていましたが、自分にはあまりリアルに感じられないせいか、そこまでのショックをしっかり受けられなかった。頭ではわかるけど…」という感想が。ASA-CHANGさんは、「自分はその映像を見るとどうしてもそういう気持ちになっちゃう。でもそこまで感じない人がいてもいい。さっきの映像やこういうイベントで、嫌悪感だけじゃないなんらかのショックを受けてほしい。」とおっしゃっていました。

私自身も、リアルにショックを受けたというよりも、歴史の授業を受けているのと似た感情を持っていました。けれど、ASA-CHANG&巡礼のライブのエピソードなどをASA-CHANGさん本人から聞いたことで、よりリアルな実感としてとらえることができたと思います。その実感というのは、実は身近なことだったのに、自分はほとんど知らない/知ろうともしていなかった大きなことが山ほどあるんだ、というもの。「うあ、ヤバッ」と思いました。ASA-CHANGさんのねらいはこういうことだったように思います。

ここで、以前インタビューでお話してくださった、「耕す」行為のお話を載せます。

「今の音楽をとりまく状況は"汚染された畑" かもしれない。有機的なバクテリアもミミズもいない土壌に種をいくら蒔いたって、軟弱なものや変形したものしか育たない。だから、一回耕さなきゃいけないんです。土からつくり直さないといけない。それで僕は、全国を歩いて喋り始めたんです。」(http://r-circus.com/cotoba_interview20101010.html より)

音楽のウンチやオシッコ、上澄みの楽しいところじゃない部分、他の例も探してみたいです。もっと自分にグッとくる、きついショックを受ける例もたくさんあるだろうけど、もう逃げられない気がしてきた。

また、どうして好きなものや使いたいものの周辺をわかろうとしないのか、ということも考えてみました。たぶん、なんとなく知っているから、または検索すればすぐわかるだろうから、というのが最大の理由なのでは? 音楽も、情報も、なにもかもがあふれている環境に普通に生きている自分たちは、たいていのことを知っている、または知っている気になっている。例えば、戦争のニュース映像を見ても「ああ、あの話ね」と、詳しくはわかっていなくても「知ってる」フィルターをかけて、ショックは受けない。あるいは、そこにある物体に胴と打面があれば「太鼓ね、そこを叩けば鳴るよね、面白いよね」とか、はじめて出会ったものでも、だいたいわかる。どうしてもわからなくてもググればすぐわかる。このフィルターが、実は怖いんだ。

ASA-CHANGさんは、このフィルターを溶かして、中から変えていくために、「耕す」タブラボンゴナイトをやっている。彼の演奏する音楽にも、その思いは反映されているのだろうか? 機会があればそのあたりも聞いてみたい。

とにかくタブラボンゴナイト、おすすめです! ぜひ一度は行ってみてください。この記事は私の記憶をもとに書いているため、ASA-CHANGさんが実際に使っていた言葉ではないので、本人から直接聞くのが絶対良いです! 重い話を中心に書きましたが、ASA-CHANGさんの語り、映像、すべての要素がからみあって、居心地の良さと悪さが絶妙なバランスです。

最新のタブラボンゴナイトの情報はASA-CHANGのサイトに載っています。
http://www.asa-chang.com/

ASA-CHANGさん、天才算数塾さん、ありがとうございました。